【読書メモ】共感という病

こんばんは〜ฅ^•ﻌ•^ฅ

どこでおすすめされたか忘れてしまったのですが、いつか読むリストに入っていたこちらを読みました。

著者の永井さんは私と年齢が変わらないのに、紛争地域でテロ組織との交渉などかなりタフな仕事を10年も続けていらっしゃるということで、本当に尊敬です。

文章もわかりやすく、トゲがなく、多くの人と向き合ってきたことが感じられました。

読んだ本

概要

いまの社会において共感は重要な要素になっている。

SNSの「いいね」はまさに共感が数値化されるものであるし、共感をうまく使えれば多くのファンを得て有名人になることができる時代だ。

一方で共感が高まって連帯した組織は危険性もある。
その輪から外れた人に対して排他的になり、分断を生むことにつながるからだ。

また、問題を抱えているのに共感を得られない人がいる。

紛争地域で共感に向き合ってきた著者が、共感との向き合い方について考察する。

まとめ

キモくて金のないおっさんはなぜ共感されないのか?

衝撃的な文章であるが、本書の第1章のタイトルからの引用だ。

次の二人はどちらが共感を集めるだろうか。
①今にも餓死しそうな中年男性
②内戦の影響で難民になり、今にも餓死しそうな10歳の女の子

さらに①の男性が餓死しそうな原因がギャンブルで失敗したことであったらどうか。
多くの人は②の女の子に共感し、助けたいと思うだろう。

①②の両者は背景は別だが、置かれている状況は同じなのにも関わらず、①の男性を「自業自得だ」「ざまあみろ」などと第三者が叩くことが容易に想像出来る。

共感には、特定のだれかしか照らさない「スポットライト的性質」と、自分にとって照らすべきだと思えた相手しか照らさない「指向性」がある。

共感とは限りある有限な資源であり、感情に従うと人は助けたい人しか助けないという現実がある。

暴力が共感で正当化される

共感は自分と共通点のあるものに対して向けられることが多く、そうした共感から形成された集団は、集団外の人間に対して強い排他性を持つことがある。

さらに、共感しすぎて暴力的になることもある。

被害者の立場に共感しすぎるあまり、第三者にもかかわらず加害者に対して過剰な報復感情を持ち、加害者の個人情報をインターネットに晒す行為はSNSでよく観測される。

例えば最近も、静岡で3歳児が送迎バスに置き去りにされ死亡した事件があった。
その関係者に対し、インターネット上で物騒な言葉が飛び交っているのを多く見た。

https://news.yahoo.co.jp/articles/849f006b367a202a50c586e62692d0ed070a391d

共感によって団結し、時に暴力的な行動が引き起こされることがある。
このことは、悪意のある他者に共感を利用され巧みに扇動される危険性があることを示している。

共感にあらがい、理性に頼る

共感にはスポットライト的性質と指向性があるため、救われるべきなのに救われない人が出てくる。

そのような本能的な選別を排除するために行政があり、公共の福祉がある。
共感できる・できないにかかわらず、誰の人権も尊重されなくてはならないという理解を持つべきだ。

著者の以下の意見に同意する。
分かり合えると思うから、分かり合えないときに軋轢を生むのであり、最初から分かり合うことなんて不可能だと思っておけば裏切られた思いをしなくて良い。

「守ろう人権!みんなの人権!」などといったきれいなスローガンではなく、「基本的に話したくもないし、なんならかかわりたくもないけど、権利はあるよね…」くらいのほうが人間の心性に沿っていて無理がありません。

「共感という病」p169

SNSで共感が可視化され、認められない人は存在価値がないように思いがちだが、そもそも存在価値なんてものがないとしても生きる権利はある。

他人から認められたいと願う気持ちから距離を置くことで自分の心を守ることができるようになるし、同時に他人の権利を認められるようになるのではないか。

感想

ちょうどこの本を読んでいるとき、SNSで「本当の弱者は助けたくなるような姿をしていない」という言葉を見て、自分の中にある共感の「スポットライト的性質」「指向性」について実感を持って理解した。

他人の役に立ちたい、他人を助けたいと思うときにイメージしている他人とは、「辛い状況からなんとか抜け出そうと努力している人」であり、「ギャンブルや酒に溺れ生活が破綻し、常に他人を見下し、手を差し伸べられても感謝しない人」ではない。

正直経緯を考えると感情的には支援したくなくなるが、後者も公共の福祉を受ける権利はある。
そう思うと淡々とルールに沿って支援を行う行政の役割は重要だが、いまの生活保護などの支援は、支援対象者が窓口でもろもろ手続する必要があるわけで、その段階で担当者が嫌悪感を持ち受給に繋がらないということは起きないのだろうか?

税金が使われる手前、私だったらどうしても「税金を使ってまで助ける必要があるのだろうか」と思ってしまいそうだ。
出来るだけ感情を排除し、支援者の心理的な負担を下げる仕組みが必要だと感じる。

第三者である自分は「関わりたくないけど権利はあるよね」というスタンスを取ることは出来そうだが、直接支援している人は本当に大変だろうなぁ・・・

自分の醜さ(偏り)に気づけたことは大きな収穫だった。
最初のリアクションはどうしても本能的・感情的なものになるだろうが、そのあと一呼吸置いて理性的に考える癖をつけるようにしたい。